Work LIFE

ライター

2年半のあいだ退職に至るまで

ブログでは本音で語っています。

4年ほど前にうつ病診断を受け、
その後1年半ほど前に2度目のうつ病診断を受けていることも告白しています。

うつ病とは一生付き合わないといけないと考えています。
現在は薬を服用して、調子のいい日とそうでない日があります。

しかし、まったく動けないわけではないので
一時期よりかはずっとよい状態です。

最も悪いときは、朝も起きずに夕食までずっと布団のなかで横になっていました。
考えることは「死にたい」ただそれだけでした。

首を吊る真似ごとをしたことはあります。
むせるだけでからだが無意識に「生きよう」としました。

死ぬこともむずかしいことに気づきました。

ここまでの状態になる2年半の会社員時代について振り返ろうと思います。

f:id:kanaseToyama:20180212184214j:plain

入社1日目の気づき

「あっ、入る会社間違えたかも・・・」
パソコンのセットアップすらまともにできないわたし。
問題なく進めていく同僚。

明らかに隠し切れない差がありました。

こういう勘は鋭いのです。
残念ながらこの勘は的中してしまいました。

半年間の苦行の新人研修

新人研修は長く半年間ありました。
そのあいだに「プログラミングを知らない人もできるようになる」
というのがキャッチフレーズだったのですが、

わたしはできないままでした。
わたしだけができないわけではなかったのですが、
結果的に研修時に苦しんだわたしも含めた女性3名は退職しました。

【業務内容の不一致】

わたし達3人に共通して言えることだと思います。
その後、連絡はとっていませんが、どこかで活躍していることを願っています。

本当に半年間の新人研修は興味が持てなかったです。
業務に必要な能力を猛スピードで学んでいくのにまったくついていけませんでした。

今のわたしがアドバイスするのならば、
「研修終了時に退職」することを勧めます。
入社半年での退職ですが、転職もなんとかなったと思います。

少なくともうつ病にはならなかったと思います。
これが大きいです。

うつ病にならずに済んだ・・・

人生が変わります。
研修と慣れない会社の寮暮らしで、わたしはどんどん消耗していきました。

部署に配属されて

配属された部署は厳しいと有名な部署でした。
部署が発表されたとき、わたしの顔は真っ青だったそうです。

しかし、その部署の先輩は優秀な方ばかりで、
尊敬できる先輩にも出会えました。

最初の案件はシステムが正常に動いているかチェックする
テストケース作成とテスターでした。

わたしの得意分野でこのころは「少し仕事が楽しい!」と思えていました。

そのあと課長との面談でいろいろありつつ、
次の案件でわたしは死にました。

リーダーとうまくコミュニケションがとれず、
積み重なる残業、進まないタスク・・・
毎朝の朝会が辛く憂鬱で仕方なかったです。

先輩にもヘルプを上手く出せず
ひとり真っ暗闇を歩いているようでした。

体調は限界にきていました。
土日の休みは夕方まで布団の中にいて、
夕方になってやっと動くことができました。

会社の寮暮らしなので
食べ物を買ってこないと食べ物もありません。
洗濯物をしないと着る服もありません。

実家暮らしのありがたみを感じました。

実家から通える範囲で職場を見つけ、
システムエンジニアではない職種を選んでいたら・・・


人生は変わっていた。


でも、東京でシステムエンジニアとして働くことを決めたのはわたし自身です。
言い訳もできません。

ただ、言いたいです。

2年半も我慢しなくていい!!
早く辞めて!!!
からだが悲鳴をあげている!!!

今思うと、うつ病の兆候は完全に出ていました。

休日の土日は夕方まで動けない。
食欲がない。
気分が落ち込む。
「死」という気持ちがでてくる。
夜は眠れない。

その後、課長との面談を繰り返し、
関西本部に異動することになります。

これも辞めるタイミングですね。

ただ、異動して環境が変わり、2カ月ほど経ち
とうとうからだが全く動かなくなりました。

診断は「重度のうつ病

正直この時は感情を失っていて記憶もないのです。
ただ、その日から京都の実家で休養することになりました。

本当に記憶がありません。
何をしていたか、記憶はありませんが、
半年ほど経って
「このままじゃだめだ!働かないと!」
という義務感で復職することになるのです。

まったくうつ病は治っていないのに。
医師も良く許したな、と思います。

その後、働きますが、戦力にはなっていなかったのでしょう。
また異動してまもなくしてうつ病になったので
周りの先輩も気を使ってくださっていたようです。
つまり、できないけどやっかいな存在でした。

10月の異動編成のときに
プロジェクトメンバーの名前にわたしの名前はありませんでした。
戦力にならないとはっきり言われたのも同然です。
人をいれるにはコストがかかります。
コストに似合う働きができなかったのです。

そんなわたしに言い渡されたのは
管理部門で教育的な業務をすることでした。
周りには40~50代の方しかおらず、
明らかにわたしは浮く存在です。

同僚からどう思われるのだろう・・・

わたしのちっぽけなプライドがとうとう退職に至らしました。
課長に退職する旨を伝え、特例ではやく退職させていただきました。

やっと解放されました。
しかし、心には真っ黒なうつ病をかかえながら。