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看護師を辞めたい!転職も考えよう

今回は看護師として辛い経験をされ、退職された方をご紹介します。同じ看護師の人は共感されることでしょう。

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自己紹介

氏名:武田さん
年齢:48歳
性別:女性

看護師資格を習得後、関西の大学病院へ就職し7年間勤務をしていました。その後、地元の大学病院に帰り、トータルで12間勤務していました。3交代制でフルタイムです。 

勤務科は内科系を含め、外科・救急・ベビー室・婦人科に勤務していました。在職中には介護支援専門員など、その他の資格や研修や学会にも参加し仕事以外にも忙しい日々だったと思います。34歳で大学病院を退職、2年間介護保険事業の仕事をして、その後看護専門学校や福祉系の学校の教員をパートとして務めていました。

看護師の大変なところ

学校で習っていたことと実際の現場は違い、学校での教育はあくまでも基本的な分野を少しかじった程度だということです。

現場には多種多様な病気の方が来院します。医療は日々進歩するようにそれにともない看護もまた変化していきます。

常に勉強する環境と向上する自分のモチベーションがなければ大変な仕事だと思います。

たとえば肝臓の病気の方がいたとして、人体における肝臓の解剖整理はもちろん理解し、血液データや治療の方針・投薬物の管理など幅広い知識が問われます。

また、術後だと術後の管理や移植後の管理など簡単なマニュアルはあるものの、担当患者になれば自分で勉強しドクターに聞いたり本を購入したりして自己学習がかかせません。

また1人1人の看護プランも計画し、退院までにおけるケアプランの作成も行うため、パソコン入力など事務的な要素も必要とされており直接的ケアだけが看護師の仕事ではなくなってきているのも事実です。

看護だけの学習ではなく、根本はドクターと同じ病気や人体においてかなりの知識量が必要となるのがこの仕事だと思います。学校を卒業したから、勉強はもういいかなと思っていると、昔の知識で仕事をするようになりついていけなくなってしまいます。

また仕事場環境によっては研修もさかんに行われており、私の場合は院外の研修に自費で参加してスキルアップを目指していたときもありました。先輩方も当然のように参加していたため、自分も当たり前のように参加していましたが、病棟によってはない場所も多いようです。

現在では認定看護師などがメジャーになり、より専門性に優れたナースが多く誕生していますが、働きだしても常に勉強とチャレンジが必要な職種だといえます。

仕事のやりがい

知識や経験が増えますと、ドクターの治療方針や一連の流れがみえるようになります。それをもとに看護師としてどのようなケアが必要になるかがわかるようになり、そこに楽しさが生まれます。

多職種と一緒になって1人の患者様の治療に取り組んでいくときに一体化が生まれ楽しさを覚えたような気がします。もちろんイレギュラーなことも起きますが、専門分野で各それぞれが対応する、患者様のメンタルや家族のサポートも含め少しのことかもしれませんが、看護師としてできる範囲のかかわりを行うことで充実感と達成感が生まれてきます。

患者様やその家族から頼りにされたり「ありがとう」と言ってもらえるときなどは、素直にうれしく自分が1番達成感に包まれたような時間でした。

もちろん中には不幸にも死去されるかたも病気によってはありますが、ターミナル期であっても、患者様の希望にそってケアを行うことで苦痛や不安を最小限にできるよう努めます。

不十分かもしれませんが、理想に近い最期を送っていただけるようサポートすることで、最期静かに死去されるときなどはまた違った意味での達成感はありました。

最近では死を病院で迎えられる方も多くいらっしゃいます。病気によっては根治が難しいケースもあります。看護師だけが取り組んでも患者様のニーズには答えられません。

この仕事に100%の達成感はないとは思いますが、残った課題を次にどう生かすかが、患者様が私に教えてくれた命を懸けた学習だと思っています。

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仕事に関するエピソード

私が10年目くらいの時に、担当になった患者様の話です。

40代男性(子供1歳)奥様と3人暮らしでしたが、癌の末期で脊椎損傷もあり、寝たきりでした。意識ははっきりしており、上半身は動かすことができました。自分の病気で自暴自棄になり家族や私たちにあたり散らすという毎日でした。

「足が動いたら死んでやる。」「おまえらに何がわかる。」「殺してくれ。」このような言葉が日々飛び交っていたように思います。

奥様はいつも泣いておられ、酷い言葉でののしられているときもありました。
私も検温時などはその部屋に入るのが憂鬱で、勢いをつけないと入れないほどでした。

担当看護師になると勤務の度にその方を退院までを受け持つようになります。私の中では正直ストレスでしたが、後輩たちに押し付けるわけにもいかず「こういう人もいる。」と自分にいいきかせ取り組んでいたと思います。

ある日、また怒鳴り声や泣く声がドアを開けると聞こえてきたため訪室すると、「何の治療も効かない、死にたい。」と奥様にあたっていました。

私は看護師として今思うと極めて不適切だったと思いますが、「大の男が自分の奥様を毎日泣かせてどうするんですか、女1人どのような形であっても愛することができないんですか。これから1人で育てていく奥様の気持ちを考えるべきだ。」「病気になったことは気の毒だとは思う。しかし、残された時間が少しならこの子供のことを妻と一緒に考える時間にあててほしい。子供がいくつになったらと手紙やビデオを残すとかそういうことに時間を使ってほしい。」私は思わず口からこのようなことを患者様に言っていました。

当然その方は「うるさい、お前に何がわかる。」と憤慨され手にとれるものを全て私に投げつけてきたのを覚えています。私は部屋をでましたが、もうこの人にかかわるのは患者様も私にとってもいい関係は築けないと思い師長に申し出ました。

しかし次の日その方の方から、今までの自分の行いや反省の数々をのべられ、本気で自分に向かって言ってくれた私に感謝をしてくれたのです。驚きました。一番驚いたのは私でした。それ以後、夫婦で子供の誕生に送る服などをカタログから選んだり、ビデオを撮ったりする日があり、家族からも本当に喜ばれた思い出があります。

仕事をやめた理由

やめた理由は2つあります。

まず1つはこのまま組織の中で働いていてもちろん学習する機会や情報には恵まれていますが、この資格を持って他から看護にかかわってみたいと思いました。

もう1つは女性としてこのまま管理職などになって大学病院に居続けることは、仕事面では充実するかもしれないが結婚・出産などをゆったりとした環境で取り組んでいきたかったことが挙げられます。

退職後、幸運にも看護師のあいだに取得した介護支援専門員の仕事や看護教員の仕事をさせていただき、病院外から看護にかかわることができたと思っています、いまから社会に出る学生たちに自分の経験を生かしてどう伝えられたかはわかりませんが、学校という側面から未来の医療従事者を育てる役割を担えたと思っています。

教育という現場は経験だけでは取り組むのが難しく、学生の意識や取り組む姿勢など教員としての悩みもありましたが、何年かして病院などで学生に合うとすっかり頼れる看護師になっている姿を見るたびに、携わってよかったと思える日々です。

またその後、結婚・出産もありましたが、あのまま病院で勤務して居たらきっと家族にも私の勤務体系などで負担をかけていただろうと思います。

感想

さまざまな患者さまがおられ、ときにはストレスが溜まり、看護師を辞めたいと思うときもあると思います。今回ご紹介した武田さんは異なる職種に転職されましたが、看護師としての転職もひとつの選択肢だと思います。